スイングジャーナル社(1947-2010)現在休刊中

遠い昔、仕事の関係でフォトデザイナーの馬場さんの自宅をお邪魔したことがある。
当時、馬場さんの親交のあるリーコニッツの奥さんが麻薬の療養中で金銭面で困っている話を聞き、馬場さんがの呼びかけでそこにいた数名と共に、スイングジャーナルにも協力してもらい、寄付を募り、彼女に送った。後日謝礼の封書とともにリーコニッツの未発表のカセットテープが馬場さんに送られてきた。
馬場さんがそのテープからダビング、パッケージデザインを施し、寄付に賛同してくれた皆に配布してくれた。私も頂いた。
馬場さんは若い時に10年くらいニューヨーク暮らしで有名ジャズプレイヤーと親交があり日本に帰ってきてからも、来日するジャズプレイヤーの写真を撮っていて、初期の日本で発売されたジャケットの写真は馬場さんが第一人者であった。
馬場さんの練馬の自宅には秋吉敏子さんや渡辺貞夫さんなど有名なジャズプレーヤーが沢山遊びに来ていたようだ。

1968-1974 神戸大阪京都

1968年頃から1975年頃の当時、学生JAZZ COMBOを編成していたこともあり神戸三宮のJAZZ喫茶さりげなくとか京都しあんくれーるやBIG BEAT、大阪南のBAMBI,FIVE SPOT、梅田のBAMBIなど良く通っていた。特に東灘の岡本や三宮に縁があり、隣の芦屋に村上春樹氏がいて、さりげなくの常連とかで、狭い店なので遭遇していたかもしれない、懐かしい。その頃近くにZOOというJAZZ LIVE HOUSEにも

1980  福岡

仕事の関係で福岡で9年過ごす。その頃になると中洲のちょっと大人になり、中洲に毎日のように繰り出すことになる。当時はスコッチバンクというJAZZ LIVE CLUBにがあり、友人と足しげく通う。ニニロッソやもんたアンドブラザース、高中正義など内外の有名プレーヤーが出演していた。店の雰囲気もお洒落であった。帰りに高橋真梨子のお母さんががやっていたバーにも同業者のOさんと合流していた。楽しかった。